「人間の分際」 曽野綾子 2015年
「人間の分際」 曽野綾子 2015年
遠藤周作の「沈黙」を読了後にたまたま選んだ本の著者がまたもクリスチャンの武闘派作家とは言いすぎか。発表済みエッセイなどのダイジェスト版です。200pあたりから老い、衰え、死というテーマで、ある意味では人生の後半に差し掛かっている人はおすすめかも。処世術と人としての覚悟を描いた本と言えば良いかもしれません。
心に残った話→私の感想の羅列です。
〇時々、「妹が精神病院にいます」とか「兄が刑務所に入っているので」と淡々と語ってくれる人に出会う。その人はその事実から逃げなかった。事実を受け止め、病人や老人や、社会に適応していけない性格の人を優しくかばっていこうとしている。その生き方が私の心を捉えて離さないのである。(p71)
〇信じると言う事は、疑うと言う操作を経た後の結果であるべきだ。疑いもせずに信じると言う事は、厳密にいうと行為として成り立たないし、手順を省いたと言う点で非難されるべきである。私の経験からすると、多くの場合、疑った相手は良い人なのである。(p87)→アラブの格言なんだ。
〇世間からどう思われても良い。人間は、確実に他人を正しく評価などできないのだから、と思えることが、多分成熟の証なのである。それは、自分の中に、人間の生き方に関する好みが確立してきたと言うことだ。(p89)→処世術のような本です。
〇他人の美点をわかることが才能である。(中略)美点を見つけて、褒めると言う事は、通常それほど簡単なものではない。それを完璧に、美しく果たすためには、私たちは常日頃、人間を見抜く目を養っておく、いや、研いでおかなければならないのである。(p108)→目を養うとは、自らの鍛錬や修練が必要だと言うことであろう。美点を理解する力がなければ、褒めることはできない。
〇イタリアでは、殺人事件など、被害者の家族が「私たちは犯人を許します」と言う広告を出すことがあるのだそうだ。(中略)広告は「私たちは内心はどうあろうとも、犯人を勇者なければならない、と心に命じましたと言う一心のようなものである。(p118)
〇アフリカでは、貧困と飢餓が激しくなれば、平和など絵空事になる。貧しいのだから、見知らぬ人から十ドルと、安い装身具を奪うだけでも、殺す理由があることになる。殺し甲斐があることになる。殺し始めれば、殺しも大した事は無い。人はすぐ、相手を殺す理由くらいは見つけ出す。(p121)
〇惻隠の情から、いつもなけなしのお金を差し出すのは、貧しさが苦しいことを知っている庶民です。お金が集まらなくなれば、やめようと私は密かに思っていましたが、景気の良し悪しにかかわらず、ささやかな援助は決して止む事はありませんでした。(p134)→今でいうシングルマザーだった母に育てられたが、不幸や貧しさは感じていなかった。しかし、成人して冷静に考えると当時の生活もあまり良くなかった。一方で小・中学校の頃、人の輪に加わらないもしくは加われない人に気になり近づいた。惻隠の情化かも知れない。
〇ある大きな会社の社長は先ほど亡くなった。(中略)その人は死ぬ直前まで、(中略)常に私のいう「惨憺たる幸福」を味わなければならなかったのではないかと思うのである。(中略)、世間が無責任に思い描く、体裁の良い家庭、栄光ある生涯といったものが「客観的幸福」として、しばしば個人の生活の目標にされるが「客観的幸福」などと言うものは、実はありえない概念である。(p145)
〇心配とか、恐怖とか言うものは、人間が不必要なものをたくさん所有しているときに起こるものだと言うことを、私は知りました。これは、私にとって素晴らしい発見でした。(p159) →貧しい時には失うものはない。確かに高みに立ってしまうと心配とか恐怖が生まれる。
〇本当は、社会の不平等や、親子の不仲や、友の裏切りは、人としての人生の許容範囲の中にある。(中略)「ないものを数えずに、あるもの(受けているもの)を数えなさい」と言う言葉がある。私はこの姿勢が好きだ。(p162)→不平等や不仲や裏切りだけを見ていると、ただ辛いだけである。それを世の中の1文と理解することが大事だろう。テレビに出てくる典型的な家族像が、世の中に苦悩や不安を待つ散らしているのかもしれない。SNSのイイネも然りである。世の中は、思い通りにはならないと思うだけで、ずいぶん気が楽になるものである。
〇もし自分の努力が必ず実る、と言うことになったら、人生は恐ろしく薄っぺらなものになるだろう。うまくいったら、私は途方もなく思い上がり、失敗したら、まさに破滅しそうなほど自分を責めるかもしれない。努力と結果が結びつかない、と言うところに、救いがあるのだし、言い訳も成り立つのである。(p171)
〇感謝こそ、最後に残された高貴な人間の魂の表現である。(p172)→忠告より感謝の方がより人を納得させることができる。
〇私の考える「成功した人生」は、一つは生きがいの発見であり、もう一つは自分以外の人間ではなかなか自分の代替えが効かないと言う人生でのささやかな地点を見つけることである。(p176)→妻の良き支えであること。子供たちの良き相談者であること。それが私の成功した人生かもしれない。
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