「沈黙」 遠藤周作 1966年
遠藤周作って昔、コーヒーのCMに出てた狐狸庵(こりあん)先生かぁ..という印象しかなかった。代表作のひとつだからと思いつきで購入しました。長崎や熊本のキリシタン遺産に観光や営業で訪ねる人にはお勧めです。しかし、かなり重い。
主人公の司祭に筑後守が踏み絵を迫るシーンはスター・ウォーズでダース・ベイダーがスカイウォーカーをダークサイドに引き込もうするシーンに似てる。
殉教が生々しい。様々な拷問、処刑のシーンが多く汚物の匂いが伝わってくる印象です。「穴吊り」や「水磔(すいたく)」という拷問が描かれます。著者はノーベル文学賞候補と目されたたが、この著作が選考委員の一部に嫌われた(Wikipedia)とのこと。私は蝉の鳴き声や人の声が臨場感を増していると感じます。
クリスチャンでもないし、歴史に弱い私には理解しにくい農民達が殉教してゆく状況は想像を絶する年貢などでの過酷な状況に人々がこのままでは死んでしまうと苦しめられていたためか。
○印象的に残るシーン
人間にあるまじき拷問を信徒たちに加え、熱湯のたぎる温泉に囚人たちをつけていて、棄教と転宗を迫り、その犠牲者の数は日に6、70人をくだらぬ時もある話だった。(p11)
もう杭と人間との区別もつかない。まるでモキチもイチゾウも杭にへばりついて杭そのものになってしまったようでした。ただ、彼らが生きてると言う事は、モキチらしい暗いうめき声が聞こえてくるからわかりました。(p90)→延々と続く水磔の描写
大きなため息をつき、弁解の言葉を探しながら、キチジローは体を動かす。垢と汗臭い臭気が漂ってくる。人間のうちで最も薄汚い、こんな人間までキリストは探し求められたのだろうかと司祭はふと考えた。悪人にはまた悪人の強さや美しさがある。しかし、このキチジローは悪人にも値しないのだ。ボロのように薄汚いだけである。不快感を抑え、司祭は告悔の最後の祈りを唱えると、習慣に従って、「安らかに行け」とつぶやいた。それから一刻も早く、この口臭や体の臭気から逃れるため、信徒たちのほうに戻っていった。(p182)
これが殉教と言うのか。なぜ、あなたは黙っている。あなたは今、あの片眼の百姓があなたのために死んだと言うことを知っておられるはずだ。なのに、なぜこんな静けさを続ける。この真昼の静けさ、蝉の音、愚劣でむごたらしいことと、まるで無関係のように、あなたはそっぽを向く。それが耐えられない。(p187)
自分がやがて殺される日、外界は今と全く同じように無関係に流れていくのか。自分が殺された後も、蝉は鳴き、蝉は眠たげな羽音を立てて飛んでいくのか。それほどまで英雄になりたいか。お前が望んでいるのは、本当の密かな殉教ではなく、虚栄のための死なのか。信者たちに褒め讃えられ、祈られ、あのパードレは聖者だったと言われたいためか。(p188)
「それにな」通訳の笑いを浮かべた顔に、筑後守の血色も肉付きも良い顔が重なって、「お前は彼らのために死のうとでこの国に来たと言う。だが、事実はお前のためにあの者たちが死んでいくわ」侮蔑の笑いが、司祭の傷口を広げて、針のように刺す。首を弱々しく振り、この国の百姓たちは長い間、自分のために死ぬ事はなかった。彼らが自分を守るため、私を選んだのは信仰を得てからだったと彼は答えたが、この答えも、今となっては、傷口を癒す力にはならなかった。(p213)
「あれは、いびきではない。穴釣りにかけられた信徒たちのうめいている声だ」(p259)
自分がこの闇の中でしゃがんでいる間、誰かが鼻と口とから血を流しながらうめいていた。自分はそれに気がつきもせず、祈りもせず、笑っていたのである。(中略)、自分はあの声を滑稽だと思って、声を出して笑いさえした。自分だけがこの夜、あの人と同じように苦しんでいるのだと傲慢にも信じていた。(p261)
「わしが転んだのは、いいか。聞きなさい。その後で、ここに入れられ耳にしたあの声に、神が何一つ、なさらなかったからだ。私は必死で、神に祈ったが、神は何もしなかったからだ」(p262)
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