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2020年12月30日 (水)

入院、手術、そして退院 (一ヶ月の忘備録)

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【手術前21日】宮崎での営業を終えJRで大分に向かう。しかし、車中で持病の右膝の痛みが悪化する。デッキで膝を伸ばし痛みを鎮め席に戻ることを繰り返す。時折、巡回する車掌は私の挙動へ怪訝な視線を注ぐ。そのまま週末になる。そして、さらに悪化してゆく。


【手術前14日】かかりつけの整形外科に飛び込む。院長の診断を受け早々に二日間の検査入院が決まる。いよいよ座ることが不可能となってしまった。通勤ではバスやJRが空いていても通路に立たざるを得なくなり乗降客の邪魔となる。入院日を待つ間は社用車での営業もできない。立ったままデスクワークをこなす。通勤から立ちっぱなしとなってしまい腰痛まで加わる。しかたなく応接セットに横たわり痛みを鎮めながら働く。
【手術前10日】痛みはさらに悪化する。短時間しか立つことができない。歩行やトイレで膝を動かすと激しい痛みで悶え苦しみ、呼吸まで荒くなり30分以上動けない。やっと痛みが治まる頃には疲労感が残った。入浴は極力、膝を使わない様に立ったまま手早くシャワーで体を洗ったつもりでも痛みが強まりしばらく苦しむ。5年間の薬物療法は効果がなかった。今となっては次の段階に進むしかない。これまでの服薬履歴をお薬手帳アプリから出力させ医師に薬物がムダであることを説明する資料をまとめる。実に9種もの薬を時に量を増減させながら服用してたことが分かる。
【手術前6日】二日間の検査入院で腰椎に造影剤を注射し、レントゲン、CTそしてMRI撮影を行う。診察台に寝てどうにか体が痛くならない姿勢を探しながら院長に痛みの激しさと薬物療法はムダと訴える。麻酔薬を神経に注入して痛みを遮断する神経ブロックの提案も予想されたが医師はその提案はなかった。腰部椎間板ヘルニアによる神経根への圧迫を手術で椎間板を削り(除圧)、ヘルニア再発を防ぐために腰椎に4本のネジを入れ椎間板を固定することになった。二日後の入院と五日後の手術が決まったが準備期間は一日しかない。
【手術前4日】衣類やタオル等の準備は妻に任せた。いつもの自作の年賀状には全く手を付けていない。ハガキは妻に購入を頼み、何とか一日で年賀状のデザインを完成させる。何とか入院前夜に印刷にこぎ着ける。床に寝たままパソコンとプリンタを操作して印刷を終了させた頃には日にちが変わっていた。
【手術前3日】痛みをこらえながら妻に病院にまで送ってもらう。痛い足を引きずりながら病院内でレントゲン撮影やコルセットの型取りなどをこなす。しかしベッドに戻る頃には痛みが強まり悶絶する。看護助手の「大丈夫?」の声が遠くで聞こえる。手術前には入浴して体をきれいにしなければならないが立つことさえできない。結局、手術前日にストレッチャーに乗せられ看護師3名で体を洗ってもらう。そして、ほぼ寝たきり状態になる。視線が低くなり視界が制限され机の上の物はよく見えない。手探りすると物を床に落としてしまうことに苛立つ。寝たきりの人の苦労の1/1000ぐらいが分かった様な気がした。
【手術日】早く激痛から解放して欲しいという気持ちが強く手術に不安は感じなかった。9時過ぎに手術台に乗せられて手術室に運ばれる。やたら天井が高かったことが印象的だった。そして三時間後に腰の猛烈な痛みで全身麻酔から覚める。とにかく痛い。ナースステーションのそばにある観察室に運ばれる。痛み止めの薬が効くまで1時間かかる。痛みを堪えようとすると体が勝手にガクガクと震えた。うたた寝しても一時間ごとセットされた血圧計のポンプの音に目が覚める。しかし右足の痛みは感じなかったことに嬉しさを感じた。ほとんど眠れない長い一日が終わり翌朝に病棟のベッドに戻る。切開した傷口がピリピリと痛い。
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【手術後2日】体には点滴のチューブ1本、出血を体外へ出すチューブ2本、膀胱から尿を出すチューブ1本が繋がり、コルセットで腰を固定しているため一人での寝返りは怖い。ベッドに触れる部分の体が痛い。「申し訳ない」と思いながら、耐えきれずナースコールを押し夜勤の看護師の世話になる。
【手術後4日~】すべてのチューブが抜かれた。ひとりでトイレに行くことができる。開放された気分を味わう。回診、リハビリ、シャワーそして食事という日課が定着し始める。同室の入院患者との会話が始まる。農家、大工、会社員など様々だが同じパジャマを着た"戦友"だから以前からの友人のように話す。食事は冬至に南瓜の含め煮が並び、クリスマスにはカードが添えられ人情に感謝する。
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【退院】激しい痛みから解放してくれた医師と面倒をみてもらった看護師と看護助手、アイディアいっぱいの食事で楽しませてくれた厨房に感謝の手紙をベッドに置いてきた。そしてナースステーションに挨拶して妻の運転する車で何とか年内に自宅に帰り着くことができた。手術と入院で世の中をみる角度が変わった。

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