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2014年3月 8日 (土)

護摩焚き - 峨眉山 文殊仙寺 六郷満山霊場 第二十五番札所 -

140308holy_fire00Canon EOS Kiss X3 1/25sec F3.5 ISO320 EV-1.3 20mm WB:Shade

すすけて薄暗い護摩堂の炉に細い薪が井桁に組まれた。

着けられた火はみるみる立ち上がる。願い事を読み上げた護摩木が次々と炉に投げ込まれ、炎の熱と舞い上がる灰が降りかかる。(文殊仙寺)

140308holy_fire01Canon EOS Kiss X3 1/30sec F3.5 ISO160 EV-2.0 18mm WB:Shade

140308holy_fire02Canon EOS Kiss X3 1/30sec F4.5 ISO320 EV-2.0 30mm WB:Shade

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コメント

両親が眠る菩提寺への墓参すら、年に一度行けない状態な無信心の人間です。
苦しい時(だけの)の神頼みはしないので、個人的には違和感を感じる護摩木の文字ですが、親御さんとしたらすがれるものにはすがりたいのでしょう。

信仰とはもともとそういうものであり、精神の安堵する状態を創りだして心が噛み砕く時をつくることなのでしょう。
火は情熱と畏敬、同時に恐怖も味わえますから、そこから得られるものがひとつでもあれば、それで由とすべきなのでしょうね。

投稿: Junko | 2014年3月 9日 (日) 16:23

spaJunkoさんへ
 いつも宗教ってマニュアルみたいだと感じます。マニュアルに従っていれば、間違わない→安堵する。一方で頼り過ぎると思考停止に陥る。
 でも、一種のパターン化された行動に身を置いてよって精神安定を保つことは良くあるような。祈ったり、護摩を焚いたり、音楽聴いたり、お茶を点てたり..かな。

投稿: 末吉 | 2014年3月10日 (月) 12:40

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