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2013年10月 9日 (水)

「地域を変えるソフトパワー」 2012年 - 藤浩志、AAFネットワーク - vol.1

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地域を変えるソフトパワー - アートプロジェクトがつなぐ人の知恵、まちの経験 - 」

アサヒビール芸術文化財団の顧問として執筆者の一人で、アーティストの活動支援かかわってきた加藤氏の講演を国東市で聴ける機会があり、氏は「すべて本に書いてあります」という言葉に載せられて、会場で購入してしまった。事例を列挙した後に続く、3者のコラムに興味を覚える。

 実は講演会場で「アートとは何か?」という質問があった。質疑としてはかみ合わなかった(と感じたが)、答えがある。「サーカー選手のシュート、体操選手の高い演技力など、人間の常識を超えた活動(p7)」と藤氏は書いている。これを読んだとき「人間の常識を超えた」という部分に囚われていた。

 著者の一人、AFFネットワークの芹沢高志氏は「アートとは人の営みであり、アートピースはたまたま生まれた結果に過ぎない。(p201)」と言っている。要はアートは「活動」「営み」という。実は類似の発言を聞いたことがある。京都造形芸術大学の福教授が「アートとアート作品は違う」と言い、鑑賞者がコミュニケーションしながら美術鑑賞する方法を述べていたことを思い出す。

 正直言えば、「神山が生んだ成功モデル(p39)」のことは初めて知った。到底、勉強は足りていない。行政でなくNPOが移住者支援をやることで移住者を云わば「選抜」して移住させるとは「やるな!」という印象である。理屈は理解しやすいが、逆に責任も重くなる。あくまでも最後はヒトの力が重要かと。

 アート・プロジェクトは現実的なまちづくりなのだけれど、「アーティストは予定調和的に失敗しないような防衛線を張りながらやることはない(p134)」から成功も失敗もあるはず。まちづくりを成就させるには役割のはっきりしない遊撃手の様なアーティストつまり「よそ者、若者、ばか者(p134)」と地方のコミュニティの積極的な関わりが重要なのだろう。時に調整役も必要だろう。

 クライアントに問題解決を依頼されたアーティストが勝手に動いてしまうのは「自分自身がクライアントである(204p)」という意識はアーティストによって異なるだろうが、容易に理解できる異人どうしの摩擦の様な気がする。

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