「夜と霧」 新版 -Viktor Emil Frankl- 1947年
夜と霧 新版 ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田 香代子 (翻訳) | |
初版が1947年に出版され60年以上経過している。2002年に初版とは別の訳者が「若い人に読んでもらいたい」として出版した。養老孟司や姜尚中が著書で紹介しており、気になって購入した。著者は1905年にオーストリアで生まれた神経科医である。あのアウシュビッツに代表される強制収容所に送り込まれ「199104」という番号だけで区別された経験を持つが、「地獄絵図は描かれない..おびただしい小さな苦しみを描写し..収容所の日常はごくふつうの被収容者の魂のどう映ったのかを問おう」(1p)とした。彼の一家はユダヤ人という理由で1942年にナチスから逮捕され、彼は4年後(40歳)に解放されたが、両親、妻、子供たちはガスで殺され、または餓死した。原著には触れられていない。(ジュンク堂1,575円)
少し長い感想ですが、それだけ印象の強い作品でした..
○私はスープを飲みつづけた
ドフトエフスキーは「人間はなにごとにも慣れる存在」(27p)と定義した。苦しむ被収容者はやがて病人となり、瀕死の人間となり、死者となる。電力が低下した乾電池を何度か再利用して使い切り、そして捨てて行くように「物」として扱う。「見慣れた光景に..心が麻痺」(35p)した。「かじかんだ手で熱いスープ鉢にしがみついた。がつがつと飲みながら、ふと窓の外に目をやった。そこではたった今引きずり出された死体が、据わった眼で窓の中をじいっとのぞいていた。二時間前には、まだこの仲間と話をしていた。私はスープを飲みつづけた。」(37p)
○救いがたい絶望の淵
被収容者のすべての精神は「風前の灯火のような命を長らえる」(52p)に集中し、「この至上の関心事に役に立たないすべてのことをどうでもよくしてしまった」(53p)著者はこれを「文化の冬眠」(55p)と表現している。但し、例外として政治つまり戦況、深みにはまる宗教、さらには降霊術であった。しかし政治に関する楽観的な情報が、事実の到来により失望を生み感受性が高い被収容者は「救いがたい絶望の淵に沈んだ」(55p)
○愛する人の面影
「感受性の強い人々が..苦しみながらも、精神にそれほどダメージを受けないことがままあった..おぞましい世界から..精神の自由の国、豊かな内面へと立ちもどる道が開けていた」(58p)ことがこの著書の真髄のひとつである。日の出前から氷のように冷たい風の中で工事現場に向かう被収容者は言葉を交わすことなかった。「わたしたちには分かっていた。ひとりひとりが伴侶に思いを馳せている」(60p)。著者はここで「何人もの思想家が..たどり着いた真実、何人もの詩人がうたいあげた真実が、生れてはじめて骨身にしみた」(61p)とたどり着いた境地を説明している。そして「なにも残されなくいなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば..至福の境地になれる」(61p)としているが、このifが現実であることは残酷である。
○本物のgame over
被収容者は早押しクイズの解答者の様だった。親衛隊が繰り出す質問にきびきびと解答するたびグループに分けられ、いくつかの小グループには「本物のgame over」が待っていた。著者は「病人収容所への患者移送団」にリストアップされた。「人びとは..ガス室行きだ」(90p)と疑っていたが真偽は被収容者には分からない。過酷な労働で野垂れ死にする「夜間シフト」に志願すれば免れたが、著者は心配する医長に「その気はありません」(91p)と断る。この理由を「医師として..病気の仲間の力になれることは、腕の悪い土木作業員としてかろうじて生き、くたばるよりも意味がある..単純な比較の問題であって、英雄的な犠牲的行為ではなかった」(81p)と説明している。友人に「妻と再会したらわたしたちがいつも妻のことを話していたこと、愛したのは妻だけだということ、夫婦でいた短いあいだ..の幸せは..ここで味わわなければならなかったことすべてを補ってあまりあること」と伝えてくれと遺言を口述した。皮肉にもその後この「収容所が地獄と化し、人肉食が始まる」(93p)
○未来を信じる
「周囲はどうあれ『わたし』を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつ見受けられた。」(110p)典型的な被収容者となることを拒み、苦悩する人間である。「まっとうに苦しむこと」(112p)には意味がある。著者は心の中で「強制収容所の心理学を講演する」という内的トリックを使って超然としていられた。その一方で「自分の未来を..信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。」(125p)「糞尿にまみれ横たわったまま」(126p)で何も恐れないし、ぴくりとも動かない。
○姜尚中「悩む力」の表現
「私たちが生きることからなにを期待するかではなく..生きることが私たちからなにを期待しているかが問題..コペルニクス的転回が必要」(129p)という表現がある。つい最近読んだ..姜尚中の「悩む力」で、この著書を引用しているが、自身の経験として「私が人生に対して問いかけると言うよりも、人生が私に問いかけられている..コペルニクス的な転回」(p27)と感想を述べている..自分の意見としては少なからず影響を受けていないか。許されるのか..
○使命感を呼び覚ます
解放されても「まだこの世界からなにも感じない..うれしいとはどういうことか、忘れていた。」(149p)つまり、歓喜の瞬間はなかった。そして「何時間も、何日も食べた..深夜に及ぶ..人はどれだけ食べることができるのか..そして..語らずにはいられない」(150p)。しかし、「未熟な人間が..権力や暴力といった枠組みにとらわれた心的態度を見せる」(152p)。PTSDだろうが人びとを苦しめるのはそれだけではない。
「収容所で心の支えにしていた愛する人がもういない人間は哀れだ」(155p)「新たに手に入れた自由のなかで運命から手渡された失意は、のりこえるのがきわめて困難な体験であって、精神医学の見地からも、これを克服するのは容易なことでない。そうは言っても、精神医をめげさせることはできない。その反対に、奮い立たせる。ここには使命感を呼び覚ます」(157p)と自分以外の家族の命を奪われた著者が冷静を装いつつ決意している。
○読みづらかった語・うまく説明できなかった語(Book Shelf Basic ver.2.0)
・蹌踉(そうろう)=足もとのたしかでないさま。ふらふらとよろめくさま。
・譫妄(せんもう)=外界からの刺激に対する反応は失われているが、内面における錯覚、妄想があり、興奮、不穏状態を示したり、うわごとなどを示す。医学で意識障害の状態の一つ。
・尾羽(おは)打ち枯らす=おちぶれてみすぼらしい姿になる。零落する。(鷹の尾羽の傷ついたみすぼらしいさまから)
・閲(けみ)する=見る。調べ見る。改める。検閲する。
・一瀉千里(いっしゃせんり)=物事の進み具合の勢いが激しく、よどみなく速くはかどること。(「瀉」は水が流れ下る意。川の水が一度流れ始めると一気に千里も流れるというところから)
・打擲(ちょうちゃく)=打ちたたくこと。なぐること。
・僥倖(ぎょうこう)=思いがけない幸運。偶然に訪れた幸運。
・形而上(けいじじょう)=形がなくて、感覚ではその存在を知ることのできないもの。時間、空間を超越した、抽象的、観念的なもの。
・正鵠(せいこく)=物事のかんじんな部分。急所。また、めあて。目的。(「正」は正(鴟鳥)を描いた布の的。「鵠」は鵠(くぐい)を描いた皮の的。)
・後日譚(ごじつたん)=後日談
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