「起業するなら中国へ行こう!」 -柳田 洋- 2006年
起業するなら中国へ行こう! 北京発・最新ビジネス事情 (PHP新書) 著者:柳田 洋 |
中国大連市への出張を目前に事前に入力しておくべき情報を探した。著者の柳田洋は1966年生まれの40歳前半で、早大商学部を卒業し丸紅で石炭貿易に関わり北京支店駐在等を経て2001年に退社している。そしてそのまま北京で会社を設立している。そして邱永漢が主宰するコラムサイト「ハイハイQさんQさんデス(HiQ)」でコラム「中国ビジネスのススメ」を週三回アップしていており、記事は1,000号に迫る。これを再構成したのがこの著書である。
中国企業と取引する!
中国ビジネスと言えば「不払い」という印象が強い。「難癖→不払い→値引き」(55p)というプロセスに馴れない会社は世界の常識と中国の常識に苦しむのかも知れない。無茶な難癖や法外な値引きを飲まなければゼロとなるらしい。「半額にするなら払う」と言っているうちに「眼力のなさを反省しつつ、半分でももらって」(56p)、差額は高い授業料ということだろう。著者は「リスクの少ない状況で小さく始めて..軌道修正しながら..だんだん希望を大きくしていく」(59p)ことが日本企業に欠けていると指摘しています。事前調査や視察を重んじる日本型では中国のスピードについていけない。中国企業との商談はその場で成否を決めるので「決められない人」が「後日回答」などと言っていると「バカにしてんのか」となる。
「人脈」はカネで買え
「お役所には逆らうな」(63p)は、各方面から聞く。「役所の対応など、いくら中国語のうまい日本人でも、できるものではありません。」(63p)ということから、これは「いざというときに、外から買う(67p)」のが妥当らしい。人脈のメンテには時間、労力そしてコストをかけている彼らのために..
宴会はメンツの集大成
宴会はビジネスの延長線上にある。実は数日後にはその場面にホスト側の一員として自分が居ることになる。ここで「身内」の関係を築かないとビジネスが始まらない。席は厳格に決まり、ホストは料理は食べきらないほ注文し、50度以上ある白酒(ぱいちゅう)をまさに残さず「乾杯」しなければならない。ここで難しいのは「自分の人間性をさらけ出して」も「議論の吹っかけ」(70p)はNGということ。そして「中国では..酔いつぶれる人とはビジネスをしないことになっている。」(71p)のは私には要注意である。
安定より金とチャンス
中国人は個が強く、日本人は和を尊ぶ。進出した企業も日系より欧米系に中国人は魅力に感じ、「日本語より英語がカネになるというのが常識になって」(90p)いる。どうやら日本人は中国人に任せられないようである。サラリーマンからの起業に対してもネガティブな印象が付きまとう日本に比べ、中国は欧米同様にステップアップという捕らえ方をしている。だからこそ、優秀な人材は転職や起業に走り集めづらい。その解決策は埋もれた人材を育て、逃げられないようにキャリアパスを提示するしかない。
中国市場を理解する
13億人の規模も大きいが、その格差も大きい。「中国は12億人の安かろう悪かろう市場と1億人の高かろう良かろう市場に分けら」(118p)ることを先ず理解する。「ビッグマック指数」や「ラテ指数」では市場を見誤る様である。ソフトバンクの孫社長が標榜する「タイムマシン経営」をそっくり移植して過去に日本で起こったことが必ず中国にも起こるのであれば、日系企業は中国市場でかなりの優位性を手にしていることになる。
中国人を理解する
著者は中国人が罰金でも課さなければ公衆道徳を守らない理由に「外側の世界と内側の世界の区別が激しい」(154p)ことは挙げています。身内を「自己人(つーじーれん)」として困っていれば全財産を投げ打っても助けるが他人を「外人(わいれん)」には見向きもしない。これは島国育ちの日本人には理解できない大陸での血で血を洗う歴史が生み出した防御システムではないか。当然、愛社精神などないから残業はしない。
中国に学ぶ
「そうなのか!」と思わされたことがある。中国では夫の給与だけでは生活できず共働きが当然である。そして男女平等で家事も育児も平等である。働く女性に対して支援する仕組みが自然とあるようで家事や育児による遅刻、早退、休暇には極めて寛容である。
..では中国へ
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