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2008年9月 6日 (土)

「武士道」その2 -新渡戸稲造- 1899年

武士道
○「礼」
 「礼は他を思いやる心が外に表れたものでなければならない(59p)」としながら、礼から芸術までに達した茶の湯と贈答に対する意識を例示している。「静かな茶室に入る前に、血生臭い刀とともに戦場での残忍さ..など捨て去り、この茶室の中に平和と友情を見出した(64p)」とあり、茶の湯には大いに興味が湧く。贈り物に対してアメリカ人は「素晴らしくなければあなたにあげたりはしません(66p)」と「品質」を述べ、日本人は「あなたは立派な人です。どんな贈り物でも立派なあなたにふさわしいものはありません(66p)」と「気持ち」を述べる。「つまらない物ですが..」という儀礼には日本人のそんな心がある。

○「誠」
 「武士に二言はない」と小さい頃に良く聞いた記憶がある。「本物の武士は誠を命より重く見ていたので、誓いを立てるだけでも名誉を傷つけるものと考えられ(70p)」武士の約束は証文なしが当然で、それを書くことは面子を汚されることであったらしい。
 新渡戸はここで当時の日本人のいい加減な「商業道徳」について触れている。士農工商の中で武士は商業に関わることを嫌っていた。そのこと自体の是非は別として、ローマ帝国衰亡を事例に結果として「冨が権力者に集中することを防ぐ(72p)」と称賛している。しかし、これは商業に社会の評判を気にしない無頼漢を集め、封建制度が廃止されると金勘定を強いられ、高潔かつ清廉な武士はかれらの餌食になった。

○「名誉」
 戦いを好まない境地に達していないサムライは洗練されていない。孟子が「些細なことで怒るようでは君子に値しない。大義のために憤(おこ)ってこそ正当な怒りである。(82p)」と説いた言葉を引用している。西郷隆盛も真の武士であり「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし(82p)」とは彼の遺訓である。

○「克己」
 確かに日本人は他民族に比べ感じやすい性質を持っている。その一方で「武士道は..不平不満をいわない忍耐と不屈の精神を養い、他方では他者の楽しみや平穏を損なわないために、自分の苦しみや悲しみを外面に表さないという礼を重んじた。(104p)」とてつもなくストイックである。そこで「感情の抑圧を常に強要されるために、日本人はその安全弁を詩歌に求めた。(108p)」という。著者は「蜻蛉つり 今日はどこまで 行ったやら」が先立った子供を思う歌として紹介している。そう言えば「しゃぼん玉飛んだ..屋根まで飛んで 壊れて消えた」も同じ心だったことを思い出す。

その3へ(準備中)

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