「武士道」その2 -新渡戸稲造- 1899年
○「誠」
「武士に二言はない」と小さい頃に良く聞いた記憶がある。「本物の武士は誠を命より重く見ていたので、誓いを立てるだけでも名誉を傷つけるものと考えられ(70p)」武士の約束は証文なしが当然で、それを書くことは面子を汚されることであったらしい。
新渡戸はここで当時の日本人のいい加減な「商業道徳」について触れている。士農工商の中で武士は商業に関わることを嫌っていた。そのこと自体の是非は別として、ローマ帝国衰亡を事例に結果として「冨が権力者に集中することを防ぐ(72p)」と称賛している。しかし、これは商業に社会の評判を気にしない無頼漢を集め、封建制度が廃止されると金勘定を強いられ、高潔かつ清廉な武士はかれらの餌食になった。
○「名誉」
戦いを好まない境地に達していないサムライは洗練されていない。孟子が「些細なことで怒るようでは君子に値しない。大義のために憤(おこ)ってこそ正当な怒りである。(82p)」と説いた言葉を引用している。西郷隆盛も真の武士であり「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし(82p)」とは彼の遺訓である。
○「克己」
確かに日本人は他民族に比べ感じやすい性質を持っている。その一方で「武士道は..不平不満をいわない忍耐と不屈の精神を養い、他方では他者の楽しみや平穏を損なわないために、自分の苦しみや悲しみを外面に表さないという礼を重んじた。(104p)」とてつもなくストイックである。そこで「感情の抑圧を常に強要されるために、日本人はその安全弁を詩歌に求めた。(108p)」という。著者は「蜻蛉つり 今日はどこまで 行ったやら」が先立った子供を思う歌として紹介している。そう言えば「しゃぼん玉飛んだ..屋根まで飛んで 壊れて消えた」も同じ心だったことを思い出す。
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