「あの戦争は何だったのか」 -2005年- 保坂正康
あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 (新潮新書) 著者:保阪 正康 |
日本史はまともに学んでいない。昭和天皇が崩御したときに不勉強をつくづく感じた。
偶然とはこんなものか。本を購入して程なく、NHKでポツダム宣言から玉音放送までの経緯が放送された。その解説者がなんと著者だった。真珠湾攻撃の2年前に生まれた著者が軍部に対しては批判的立場であることを理解して読む必要があろう。
○はじめに
戦争の体験談は人の琴線に響く。これを「ある種のトリック(6p)」と表現している。自分にも同様の印象がある。原爆の悲惨さだけで戦争を総括することはすることはできない。政治家は戦争の悲惨さを知った上で戦争や政治を判断する力を持つ必要がある。
○旧日本軍のメカニズム
職業軍人、徴兵制などを説明している。特に軍部と呼ばれる機構が総長を頂点とする「軍令(大本営)」と大臣を頂点とする「軍政」という組織区分と陸軍(参謀本部)と海軍(軍令部)という組織区分とで構成させることが今後のポイントとなる。
○開戦に至るまでのターンニングポイント
海軍省の戦備課の試算では日米の戦力比は1:10、これに日本の潜在力や地の利で軍事課の判断は1:4、その報告を受けた東条英機は精神力で1:1と結論付けた。この驕りはやはり日露戦争が影響しているのだろう。2・26事件でテロの恐怖が広まり軍部は暴走して行く。そして開戦へ。ここで著者は開戦の黒幕を陸軍ではなく、海軍としている。なぜなら「陸軍が..武力活動してくても、海軍の護衛で運んでもらえなければ、始めようがない(86p)」というのである。
○快進撃から泥沼へ
あの太宰治が「光がさし込むように強くあざやか」と表現した真珠湾攻撃では開戦通知書を開戦後に手交し、3,000人近い米兵の命が奪われた。日本側の暗号通信が筒抜けでいつ、何時に日本軍が攻めてくるか見抜かれていたミッドウェー沖海戦では日本兵が3,300人の命が奪われた。米軍の勢力を見誤ってガダルカナル島では24,600人の命が奪われ、その中の15,000人は餓死だった。著者は大きく変わる戦局に対して著者は戦争指導者が「この戦争は何のために続けているのか(120P)」という議論に至らなかったことを指摘している。「兵士たちは..飢えや病いで死んでいる(122p)」のに陸軍と海軍は足を引っ張りあった。大局を見ることができた人材は..要職から外され(123p)」た。
ところで約60年後の2001年9月11日に米国で旅客機がハイジャックされるテロが発生し3,000人近い民間人の命が奪われた。アフガニスタン侵攻では5,000人の兵士が命を失った。大量破壊兵器がある「はず」という理由で始まったイラク戦争では米兵4,000人の命が奪われた。何か変わったのか。
○敗戦へ - 「負け方」の研究
1944年7月、無能指揮官によるインパール作戦の失敗やサイパンの玉砕を経て東條内閣は総辞職してしまう。さらに台湾沖航空戦の誤報を鵜呑みした日本軍は次々に潰される。もう末期的である。そして硫黄島と沖縄の玉砕さらに沖縄戦は「防波堤(197p)」でしかなかったと指摘する。「神風が吹く」と思っていたとか..ジハードと何が違うのか。
○八月十五日は「終戦記念日」ではない - 戦後の日本
「太平洋戦争の終結はいつか?」と尋ねられ、1945年8月15日と答えるのは日本人だけである。教科書的に言ってもポツダム宣言に調印した9月2日が敗戦が決定した瞬間である。
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