「武士道」その3 -新渡戸稲造- 1899年
○「切腹と敵討ち」
「畳の上で死ぬことを恥とした(114p)」サムライの切腹について詳細に記述されている。それは完全に儀式であり、咎人、時として身分が高い人が勤める介錯人、検死役などの数名の役人が囲む中、短刀を腹部を深く左から右へさらに上へ静かに引いたという。切腹は武士にとって名誉であり「家康は大胆にも自分の命を狙った若者の勇気を誉め、彼らに名誉ある死を許し(120p)」たが、掟により一族の男子が処刑されるためわずか八歳の末っ子まで兄を見習いながら切腹したという。ほの表現に全く誇張がないが疑問であるが、名誉を履き違え、若者が死に急ぎ切腹が増えたという。新渡戸は敗戦で山野を彷徨する山中鹿之助(幸盛)が「憂きことのなおこの上に積もれかし限りある身の力ためさん」と詠った話を引用し、「天があたえようとしているものを避ける死はまさに卑怯(123p)」と名誉の死と混同することを戒めている。さらに「自殺願望者は恐るべき早さで増殖(127p)」と懸念を示しているが、現在も国内で年間3万人が自殺している。
○武家の女性に求められた理想
「愚妻」をキーワードに日本人とアングロ・サクソンの結婚観の相違を例示している。「聖書には『二人は一体となる』あるが、アングロ・サクソンの個人主義では夫と妻は別々の人格である(148p)」日本人は聖書の境地に達し、「日本人は、自分の妻を誉めることは自分を誉めることだと考える。(149p)」
○武士道はいかにして「大和魂」となったか
「武士道の徳目は日本人一般の水準よりはるかに高い(152p)」そしてその「道徳体系は、時が経つにつれて、大衆の間に多くの信奉者を引きつけていった(153p)」。新渡戸は武士は「日本民族の花であり、かつ根源(153p)」と称賛している。その高い道徳観を広めていったのが芝居、寄席、講談、浄瑠璃、小説等の大衆娯楽だった。その精神は大和魂と呼ばれ、その象徴として、淡い色と香り、そしてはかなさ秘める桜に対する思いを日本人は持ち続ける。
○大相撲を憂う
昨今、大相撲の不祥事が続いている。さらに外国人力士が関わっている事案が多い。親方も不甲斐なさも目に付く。ときおり大相撲では「相撲道」という言葉を口にする。一番危惧するのはすでに大相撲を単なるスポーツや興行と勘違いしている親方がいるのではないかということである。本来の「義」「勇」「仁」「誠」を失いつつある。さらに日本大相撲協会を外国人力士は訴えた。文部科学大臣が「相撲道に加わっていたものが、恥を知れ」と非難した。武士道も恥も教えなかった親方の責任は重い。
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