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2008年3月23日 (日)

「東京タワー」 -リリー・フランキー- 2005年

東京タワー

東京タワー 

オカンとボクと、時々、オトン

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 著者リリー・フランキーは私より5歳年下の1963生まれだが、同世代を著書に感じる。母との自叙伝の様な内容にどの程度のフィクションが含まれているのか。小倉生まれで1982年に当時の別府緑丘高校に入学している。肩書きはイラストレーター、エッセイスト、小説家、デザイナー、ミュージシャン、作詞家など情報だけでは「掴みどころがない」。正直なところ年代だけでなく、環境が似ていて思わず「共振」してしまう。余談だが私も赤痢で隔離された経験がある。誤診だったが..

 気になるフレーズが「五月にある人は言った」が気づいただけで6箇所(4p、32p、168p、253p、321p、444p)ある。もっとあるかも知れない。「ある人」とは誰なのか。神か?気になるが読み取れない。それと「ぐるぐるぐるぐる」という表現もある。夢と希望が集まってまるで掃除機(東京タワー?)にでも吸い込まれて、最後にゴミ溜めに吐き出される印象である。

「涙が止まらない」という噂はあったが、それ以上に笑ってしまった。まるで一昔前のTVのホームドラマのノリで笑わせてくれた。(BOOK・OFFにて800円で購入)

(以下やや長文)

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湘南ライナー日記 SHONAN LINER NOTES「最初で最後の東京タワー
すってんぱれ!時たま日記2「50歳の誕生日、おめでとう・・

家族・・各章の冒頭には著者の思いが語られている。意味不明のこともあるが、やはり同世代のためか頷くこともある。「『家族』とは生活という息苦しい土壌の上で、時間を掛け、努力を重ね、時には自らを滅して培うものである..たった一度の諍いで、いとも簡単に崩壊してしまう..『親子』より、さらに簡単になれてしまう『夫婦』という関係..ふざけた男と女が、成りゆきで親になり、仕方なく『家族』という難しい関係に取り組まなくてはいけなくなる。(30p)」という家族観が語られている。

 「オカンは最後まで、ボクに勉強しろと言ったことがなかった(36p)」のは、私の母に似ている。正確に言えば、中学生になって以降は全く言わなかった。子供を養うのに忙しかったからかも知れない。主人公はブレーキのない中古自転車で怪我をしたことがきっかけで、新品を買いに店に行くが「デコトラのような自転車..が欲しいと思ったけれどオカンに悪い気がして、少しだけ、地味に電飾のついた自転車を欲しいと指差した(37p)」に似たような経験がある。家庭環境が分かるだけにこの気持ちはなんだか理解できてしまう。

生活・・当時は貧しさという概念がなかったとしている。一方、今の東京を「『必要』なものだけしかもっていない者は貧しい者になる。東京では『必要以上』なものを持って初めて一般的であり、『必要過剰』な財を手にして初めて豊かな者になる。(46-47p)」として「『貧しさ』とは美しいものではないが、決して醜いものではない。しかし、東京の『見どころのない貧しさ』とは、醜さを通り越して、もはや『汚』である(48p)」と断言する。半分は理解するが、『見どころのない貧しさ』とは何なのか。

 別府緑丘高校に入学する前後で街を描写している。「別府駅からまっすぐに山に向かって道路が延びる。道の端々からは溝を流れる温泉の蒸気が冬の空気に白く立ち昇り、所々で湯の花の匂いがした。(117p)」..大分県人としてはシーンが眼に浮かぶ表現である。

愛情・・やがて迫る死へプロローグが始まる。「未だ見ぬ未来に想いを傾けて穏やかに過ぎていった時間は、逆回転を始める。今から、どこかにではなく。終わりから今に向かって時間を刻み、迫り来る。自分の死、誰かの死。そこから逆算する人生のカウントダウンになる。(253p)」愛する人、通常は家族の死を目前で経験しないと余命を意識できない。核家族が増え、病院で最期を迎えるようになってその意識が薄れてくる。

 ストーリーは母への愛情で貫かれている。石川啄木が「たわむれに母を背負いて..」と詠んだ。「大きかったはずの母の存在を、小さく感じてしまう瞬間がくる。大きくて、柔らかくて、あたたかだったものが、ちっちゃく、かさついて、ひんやり映る時がくる。それは、母親が老いたからでも、子供が成長したからでもない。きっと、それは子供のために愛情を吐き出し続けて、風船のようにしぼんでしまった女の人の姿なのだ。(321p)」母に贈る詩そのものである。ここらあたりから淡々と闘病の様子を綴ることとなる。現実そのものの記述はやはり感情が揺さぶられる。特に私にとっては..

 とにかく食事にまつわることがオカンを中心に溢れている。東京で生活していてもオカンは「社長も学生もみんなお腹がすいていると思い込んでいて、食べられることがなによりも一番といいことと信じていた。(402p)」この分かりやすい愛情が著書に溢れている。

最期・・ひろさちや著「『狂い』のすすめ」に「医学がやるべきことは..日常生活が楽になるようにお手伝いすることです..病気を治すことが医学の目的ではありません。(104p)」と書いていたことを思い出した。

「心電図のグラフが長い信号音に変わってテレビドラマの様にまっすぐな線を描いた(380p)」オカンの享年69歳。最後まで人工呼吸器のお世話になった亡母の場合は血圧と脈拍が徐々に弱くなったことを看取ったことを思い出す。決してドラマの様にはならなかった。享年64歳。

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コメント

TBありがとう。
こちらは映画のレヴューですが、原作も感情移入しながら、読むことが出来ました。
リリシズムなのですが、うまーく時代性と地方家族の普遍性をおりまぜてありますね。

投稿: kimion20002000 | 2008年4月18日 (金) 00:46

こちらこそTBありがとうございます。
やはり感情移入ですよね。

投稿: 末吉 | 2008年4月18日 (金) 22:03

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