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2007年10月 1日 (月)

「戦争遺産探訪 日本編」 -竹内正浩-

戦争遺産探訪 日本編 (文春新書 580) 戦争遺産探訪 日本編 (文春新書 580)

著者:竹内 正浩
販売元:文藝春秋
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7月20日に発行されている。夏はこの手の書籍が売れるのか。一言で言えば、ガイドブックに近い。私より少し若い著者はかつて旅行関係の会社で雑誌を編集していた様である。多くの写真が掲載され肩が凝らないが、文と写真が別頁だったり、脚注に写真を差し込んだ頁には頁数が書き込まれていないのはどうかと思う。正直に言えば、自分と関連する部分以外はかなり読み飛ばした。

コメントへ続く

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コメント

○「日本の一番長い日を歩く」・・論評というより40年前のモノクロ映画のタイトルとして有名かも知れない。終戦直前の陸軍幕僚クーデターを回顧している。映画に興味をそそられてもレンタルショップにはまず陳列されることはない。

○「要塞の築造」・・フジテレビ本社周辺を「お台場」という。住所は「台場」であるが、江戸幕府がペリー来航に慌て作った海岸砲台が由来である。お上が作ったから「お」を付けたのだろうかと思えば、「砲台場」が訛ったとWikiに..本当だろうか。

○「鉄道と戦争」・・「兵力と物量の迅速な集中運用が勝敗を決した(134p)」という。確かに「日露戦争において十二分に役割を果たした鉄道隊(61p)」もあり当時としては常識であっただろう。1906年に鉄道国有法が施行され、多くの私鉄が国有化されたのも、終戦から40年以上経過して1987年に分割民営化されたのも時代の流れだろう。

○「第一次世界大戦と東京駅」・・東京駅が完成するまで東京の始発駅は官営の新橋駅、私鉄である日本鉄道の上野駅と甲武鉄道の御茶ノ水駅に分かれていた。帝国議会はこれらを結んでその中央に駅をつくろうとしたので、名称は「中央停車場」だった。後に「東京駅」と名づけられ、その周辺は軍人の凱旋や要人の歓迎式典が華々しく行われていた。その設計者が今の大分銀行赤レンガ会館も設計している。

○「戦艦主砲の意外な使い道」・・ワシントン海軍軍縮条約に基づき廃棄された主砲が要塞に転用されている。豊予要塞の鶴見崎(丹賀)砲台もそのひとつである。別の項で砲台周辺を整備した施設「ミュージアムパーク丹賀」となっていることに触れ「砲台を生かした施設造りが行われている稀有な例だ(207p)」「生まれ変わった鶴見崎砲台(221p)」と評価している。

○「急造された航空基地」・・宇佐海軍航空隊は航空兵力の充実を目的に編成されたが、1945年初頭には「特攻訓練基地へと変貌していた。(179p)」宇佐市に残る掩体壕等の多くの遺構が紹介されている。

○「戦争遺構の歩き方」・・本題から離れるが国土地理院「空中写真閲覧サービス」を紹介している。「戦争直後と現在の航空写真を見ることができる(242p)」が、どうも「戦争直後」の方はかなり地域が限定される。それでも別な意味で使えるものを見つけた印象である。

投稿: 末吉 | 2007年10月 6日 (土) 12:42

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