「われら戦後世代の『坂の上の雲』」 -寺島実郎- 2006年
われら戦後世代の「坂の上の雲」―ある団塊人の思考の軌跡 著者:寺島 実郎 |
TVでよく見かける著者は私より11歳上だから団塊の世代である。早稲田大学大学院で政治学を学んでいる。実は講演を聞く機会を得た。その前にこの本を購入して読んでしまおうとした。「たかが196p」と2日前から時間を見つけて読んだが、理系の私には時間がかかった。いや、理系だからではない。私だからだ。歴史や熟語に辞書が手放せなかった。第1章はかつての大学闘争を正面から説明している。これも手ごわかった。
○第1章「政治的想像力から政治的想像力へ」
大学問題と大学改革に触れて、「大学の現実的諸機能がクラブ活動斡旋組合、恋愛機会提供体、学割発行所・・であるとしても、大学の根源はそこにある学問(20p)」としている。そこで大学のプロフェッショナリズム支配が「時代の問題に巨視的に・総合的に挑戦することを・・放棄させている。」と不満を述べていた。そして「現代社会が抱える諸問題をとりあげあらゆる専門領域の知識と知恵を結集して時代の問題に巨視的・総合的に挑戦する試み(22p)」を提案している。大学がテーマを決めて総力戦に突入することになる。自治体もそうあるべきか。「あらゆる意見には欠陥があることを知り、いかにそれをこきおろせばよいかという流産術を会得した経験的保守主義者ほど始末の悪いものはない・・彼らの発言は研究室や職場をとにかく平穏に守らなければならないとする信条により決定している・・いかなる改革案も、彼らの信条に抵触する時点で見事に駆逐される」には深く共鳴した。
○第2章「われら戦後世代の『坂の上の雲』」
団地化の不安定さに触れて「個別のカプセル(住居)が過剰外部依存構造の中に組み込まれている(46p)」という記述は、映画「マトリクス」とダブった。このMatrixとは母体と訳すべきか。核家族は昭和50年ですでに77.7%となり、「兄弟が少ないため生まれたときから両親を軸とした大人の世界に取り巻かれて育」ち、目に付くのはやたら大人のような口調で喋る子供である。確かにそうである。後半から読むのが辛くなった。「社会像の構築となると、戦後世代は何ひとつ解答を示していない。」著者は戦後世代第一代であり、私は第二代である。
○第3章「米国との位置関係」
「われわれの世代が決定的に持ち合わせていないもの・・それは自分の存在が理屈抜きで押しつぶされてしまいそうな原体験、つまり戦争とか飢餓とか圧倒的な社会的不条理の体験であろう。・・幸福なことであるがある種の虚弱さを内包している(95p)」ということはイラクへ送り出された米兵に通じるかも知れない。そして「見事なほど『突き詰めたもの』に弱くおおむね『私生活主義』(個としての安全と豊かさのみへの関心)」と一国平和主義を享受している。(96p)」は私、そして何より我が子に通じる。土門拳の写真集から受けた衝撃を語っている。この衝撃を我が子は感じることができるだろうか。
○第4章「戦後世代の責任と使命」
若い人が「むかつく」そして「キレル」をやたら使う。これに対する回答はこうだ。人種差別を経験している米国での体験から「自分と異質なものを『気持ち悪い』『むかつく』と言って排除するならば、生活そのものが成立しなくなる・・私が十年を越す米国生活で学んだのも違和感を感ずる対象への忍耐(117p)」だったとしている。島国日本の生活は異質なものへの排他を生み出しているかも知れない。そして著者の「虚弱な私生活主義」への怒りを感じる。戦後世代への叱咤である。
○終章「団塊の世代の正念場」
やはり世代の話から団塊の世代、そして団塊ジュニアの話題になれば堀江貴文の分析になる。「故郷にも帰らず両親との交流も避けてきた(189p)」のは何故か。あの「酒鬼薔薇少年」の両親は共に昭和25年生まれである。この両親の手記を分析している。「指摘すべきは、両親の本に一切出てこない言葉である。つまり、『社会』とか『時代』という言葉につながる問題意識が存在しない(191p)」自分は我が子に何を残してきたか。「団塊の世代が『笠の雪』となって後代世代にのしかかるのか、社会を支える側に廻るのか(194p)」
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