潤目鰯
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子供達は買ってきた「とらはぜ」に全く箸を付けなかった。妻と二人では9匹は食べ切れなかった。妻は頭を残したが、私は有難く頭からすべてを頂いた。少し甘さが強い味付けだったが、久々に縞模様を見ながら南蛮漬けを食べた。(住吉浜)
Panasonic DMC-FZ10 ISO200 1/30sec F2.8 0.0EV 78mm AF
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数隻の牡蠣を載せた船外機船が岸壁に繋がれていた。皆、夫婦で牡蠣に付いた小さな貝を金鎚で叩き落していた。彼はその中にひとりでニューヨークヤンキースの帽子を被って作業していた。「こんにちは」と声を掛け、ひとしきり漁模様の話をした後、彼は私に「何処から来た?」と訊いた。「佐伯から」と言うと少し驚いた表情で「佐伯じゃ牡蠣やってるん?」と訊いてきた。「いいや。緋扇貝はあるけどね。緋扇貝見たことある?」・・と取り止めのない話が続いた。「七十代だからそんなに頑張れない」「後継者が四人も入った」など話は留まらなかった。話しながらも作業は続いた。私は「ひとりでやってるの?」だけは何となく訊けなかった。(守江)
Panasonic DMC-FZ10 ISO75 1/60sec F2.8 0.0EV 304mm AF
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鯛、蛸、鯵、間八そして烏賊が盛られた海鮮丼は鯛アラの味噌汁とともに運ばれてきた。。しかし、厚く切られた刺身にタレにわさびを溶かして少しずつ垂らしながら食べると満足感があった。烏賊は藻烏賊だった。値段はここらではやや高いかも知れないが、ボリュームがあった。都会では1,050円でまず食べらない。間八は鮮度が良すぎて硬かったのは愛嬌か。(蒲江浦)3263
Panasonic DMC-FZ10 ISO100 1/60sec F2.8 0.0EV 36mm AF
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夕方に漁港を歩くと今は誰もいない魚市場があった。多くの鳥が餌を求めて周りを飛び廻っていた。傾きかけた陽が赤味を帯び始め、白い鴎を少し色づけた。(鶴見)
Panasonic DMC-FZ10 ISO50 1/800sec F4.6 0.0EV 101mm MF
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私のジョギングコースに「世界のカメラ 歴史資料館」と書かれた看板が外壁に掛かる建物がある。ついに休日に訪問した。案内表示に従い2階建の外側にある階段を登ると入り口があった。「当資料館は、無人・無料となっております。」と表示されている。指示通りに電気、エアコンをONにして部屋に入った。何百ものカメラが飾られていた。誰もいない、そして静かな部屋で古いカメラを見て廻るとなんだか不思議な気分になった。(元屋印刷)
Panasonic DMC-FZ10 ISO200 1/25sec F2.8 0.0EV 178mm AF
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下流社会 新たな階層集団の出現 著者:三浦 展 |
○「はじめに」・・実に地味なタイトルだと思った。著者は1958生まれで同い年である。「『下流』とは、単に所得が低いと言うことではない・・総じて人生への意欲が低いのである。(9p)」とし、その背景に「団塊ジュニア以降の世代は著しい貧富の差を見たことがない(9p)」ことがあるとしている。ユニクロ現象が「だらだら生きても生きられる(10p)」時代を作ってしまった。ちなみにここでは高度経済成長期に生まれた「新人類」は1960~68年生まれと提起されている。私と著者はこの世代に近いが少しである。
(以下コメントに続く)
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10人程度のカウンターは一杯に見えたが、席が一つだけ空いていた。初めての店で少し気が引けたが、勧められ常連に混じって座った。並握りは、鯛、鮪、鯵、〆鯖、海老、烏賊、玉子焼き、ツメを塗った蛸で1,200円だった。店主から「氷見と佐伯の鰤がある」という言葉がこぼれた。思わず「ひとつずつ」と追加した。養殖はまちを見慣れている私は「氷見の鰤の身は赤味が強い」と記憶していたが、返って白っぽい位だった。腹身かも・・。氷見は16キロもので確かに柔らかくシャリと合う。佐伯は8キロもので氷見ほど柔らかくないが差は僅かだった。双方とも充分寝かせていると感じた。店主は「2日」と答えた。なるほど。(福寿司)3130
Panasonic DMC-FZ10 ISO200 1/50sec F2.8 0.0EV 72mm AF
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以前「佐伯の旨い鮨はどこで・・」と訊かれた。正直なところ店は全く知らなかった。人に勧めるには自分が食べないと・・。昼はいつも妻の弁当で済ます。だが、酒飲みなどあれば長距離通勤の私は帰宅できず宿に泊まり、翌日の弁当がない。ならば握り鮨を食べに行こうと思った。「並」なら何とかなる。「並握りの旅」とでも名づけようか。近くの店に入ると座敷に人影はあったがカウンターには誰も座っていなかった。「並」を頼んだ。握り8かんに赤だしの貝汁とデザートだった。まずは旅の第一歩か。(亀八寿司)
Panasonic DMC-FZ10 ISO100 1/60sec F5.6 36mm AF
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気温は摂氏7度からさらに下がろうとしていた。知人宅で用事を済ませ帰宅途中に赤提灯が目に付いた。ここは繁華街ではない。どちらかと言えば商店が点在する住宅地である。隣の洋菓子店は既に閉店し、時折、車は行き交うが付近に人通りはほとんどなかった。赤提灯が闇夜にぽつんと立つ誘蛾灯に見えた。窓越しに人影と話し声が僅かに交錯する。地元の馴染みなんだろうかと思いながら、家に戻った。(鴛野)
Panasonic DMC-FZ10 ISO200 1/30sec F2.8 -2.0EV 149mm MF
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街中の小さな緑地に植えられていた樹は枝葉が全くなかった。ビルの谷間で陽が遮られ、幹だけが黒々と波打って突っ立っていた。人々はこの化石のような八岐大蛇(やまたのおろち)に全く気づかず、寒さに終れる様に足早にその前を行き交った。(府内町)2973
Panasonic DMC-FZ10 ISO50 1/400sec F4.0 0.0EV 36mm AF
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土曜日に街中で催されるフリーマーケットには市外から生産者も参加している。漁村女性の店を見舞いに行くと知合いの牡蠣生産者に会った。湯気が立ち上る焼き牡蠣を火箸で差し出された。火傷に気を付けながら、遠慮なく口に放り込むと風味が広がった。礼を言ったが貝柱がうまく剥がれない。「焼きが足りない!」と文句を言って顔を見合わせ、そして皆で笑ってしまった。(大手町)
Panasonic DMC-FZ10 ISO50 1/200sec F4.0 0.0EV 36mm AF
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雲が空を半分被っていた。空に線を引いた境目ができ曇天と群雲に分かれていた。境目の端は水平線の向こうまで伸びて見えなかった。その端は西は東シナ海、東は関東東方の太平洋の彼方まで延びていた。見ているだけで楽しい。(米水津)
Panasonic DMC-FZ10 ISO50 1/1300sec -0.3EV 36mm AF
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風はまだ強いが、前線が通過し冬型特有の乾いた青空が広がった。郊外型のスーパーの黄色い壁と駐車場の黄色い車が輝く様に光った。(豊饒)
Panasonic DMC-FZ10 ISO50 1/250sec F5.6 0.7EV 36mm AF
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会社は誰のために 著者:御手洗 冨士夫,丹羽 宇一郎 |
○第一章「改革力を身につける」
伊藤忠会長の丹羽氏は企業によって高度経済成長期には不要だった改革が、バブル崩壊で問われ、「改革力」の差が企業の運命を分けたと考えた。ただ「改革には必ず痛み(20p)」が伴う。これを嫌い現状維持を望む人(大半は部下だろう)に「何のために行うかを周知徹底(20p)」させなければ成就しないと断言した。加えて行政の制度は「時代遅れ・・改革は・・パッチワーク的対症療法」と斬り捨てられた。
工学院大の畑村教授が著書「失敗学のすすめ」で、技術の萌芽期を経験していない人がシステム全体を見渡せず、局所的な改良が致命的となる可能性を指摘した。パッチワークか。教授は「局所最適・全体最悪」と称した。経団連会長の御手洗氏がいう「部分最適」「全体最適(39p)」に似ている。先の畑村教授は「技術の寿命はおよそ30年」としている。「制度」も「技術」も同じではないか。一定間隔でフルモデルチェンジが必要と言うことか。
御手洗氏は11万人の従業員を抱える「キヤノンの一時代を築いた事業部制も・・制度疲労が起きて・・権限がそれぞれ強力になりすぎ・・構造そのものをガラリと変えなければ(25p)」と思った。畑村教授は「組織運営に応用される樹木構造」の概念で、「各系統の役割を限定し、意図して横のつながりを分断」としている。「事業部制」と「系統」が類似している。図体が大きくなる弊害との戦いか。
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○「きっかけ」・・地方で地産地消の産品の販売に励む生産者が安価な宣伝とリピータ確保を考えている。材料として無償ブログと地方公務員を用いる。動機づけは坊農さやかという22歳の雑誌編集長を取り扱った11/3のNHKニュースウォッチ9だった。口コミマーケティング(Viral Marketing)というらしいが、実は自分も類似の発想があった。
○「グループづくり」・・まず市町村か県の範囲でやる気のある生産者でグループを作りブログを開設する。ブログのpingサーバは最大限に利用して産品を掲載し、食べ方の情報も掲載する。見る人に「簡単、時間と手間が不要、道具も今もっているものでOK。」という印象を与える内容とする。食べ方は能書きばかりを書くのはNGで、説明なしでも理解できる写真を2~3枚貼り付ける。
○「公務員をセールスマンに」・・一方、公務員にもpingサーバは最大限に利用したブログを開設させる。そして生産者は彼らに産品を売る。若しくはブログに感想を書くことを条件に無償提供する。ブログを開設していない(できない)公務員にも産品を売る。彼らに産品を受け渡すときに生産者のブログへのコメントを依頼する。イントラネットを利用してメールにブログのURLを書き込めば完璧になる。生産者も産品情報をタイミングよくブログに掲載する。例えば「○○さんへ送ったブリは今日こんな風にして水揚げしましたよ」などと写真付きで掲載する。
○「ブームを創出」・・産品はひとつの産品を一斉に提供する。これを地域みんな(生産者+公務員)で批評する。一定のスパンでひとつずつ提供とブログへの掲載を行う。これを徐々に拡大する。地域には必ず、消費者の立場でブログを開設している人がいる。彼らにも無償の提供を行う。このときブログの「つながる機能」(コメント、トラックバック、ping)を最大限に活用する。
・・正月の初夢か。でも、経費はほとんどかからない。どうだろうか。
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ウェブ人間論 著者:梅田 望夫,平野 啓一郎 |
地方にこそネットが必要だと感じている。1960年生まれで米国在住の梅田氏は「『アメリカに帰る』と『ネットの世界に帰る』は同義」(p15)と言った。この言葉に「地方にこそネットが必要」と思った。ネットは距離と時間差を小さくする道具だといつも感じている。
ブログを開設して1年半が経過した。まだ、概念が定まらないweb1.0と2.0の差が分かったような気がした。95年から10年更新したwwwが1.0で、このブログが2.0だと感じている。1.0は一部のユーザーが情報を発信し、99%のユーザーはそれを眺めていた。2.0は個々人が「つながる」ことではないか。コメントやトラックバックで世界のブログに仕掛けることが出来る。ブログに長いコメントは似合わない。ブログは会話だから。
1975年生まれの作家の平野氏はブログを「有益な情報発信、情報交換の場としてのブログ」と「どうでもいいようなことをこつこつ記録してゆくブログ」に大別した。私はトラックバックが「つく」一次発信のブログとトラックバックを「つける」二次発信のブログに分けたい。
梅田氏は「メディアはマスに対して働きかけ・・僕が言うのはもう少し母集団が小さいものが浮かび上がってくるシステムが・・出来てくる」と言う発言に期待を覚えた。これを地方にどう活かすかが決め手ではないか。
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正月休みの最終日、昼は妻と外でパスタにした。トマトソースとペペロンチノを注文した。ピザで器に蓋をして焼いた旨そうなクラムチャウダーも注文した。チャウダーはバターとピザの香ばしさと一緒にやって来た。ピザを破り火傷に気をつけて帆立貝を食べた。400円の割りに旨いと思った。ウェイトレスに「おいしかった」と言うと、少し戸惑った風に「はい」と言って立ち去った。バイトなのか。淡白な印象だった。客の思いは厨房にも伝わらない。街中の飲食店の運営も大企業の組織運営も同じである。トップだけではどうにもならない。
Panasonic DMC-FZ10 ISO75 1/60sec F2.8 0.0EV 36mm AF
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国家の品格 著者:藤原 正彦 |
欧米の「論理」の限界を救済する方法として日本人が失いつつある「情緒力」を紹介している。欧米が作り上げた「自由」や「平等」が虚構であり、その一方で日本人の自然への感受性などの素晴らしさが語られている。著者は日本が目指すべきなのは稀有の感受性を持った「異常な国」だとしている。また、彼は米国コロラド大学で教鞭を執っており、かつての自分を「アメリカかぶれだった」としている。
興味を持ったのは「田園」に価値を見出していることに尽きる。田園が失われることは、日本人の情緒、文化、伝統を失うこととしている。結果として異常な国としての特異性を失い、欧米のような『普通の国』となることを恐れていることである。国家繁栄と数学と食料自給率がリンクしているということである。
「言いすぎ」「決め付け」の印象はあるが、数学と国語を教える人、小さい子供を持っている人、数学や工学を目指す理系の人・・そして私のように読書しない人が読んでおくべきか。私も「敗者への共感」「劣者への同情」「弱者への愛情」には共感する。武士道を知りたいと思った。
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元旦は、家族の運転手となり、買い物に付き合った。しかし、売り場には付き合わず、マックの180円コーヒーを持ってテラスで大晦日の夜から読み始めた本を読んだ。摂氏10度を下回る気温と日陰のせいか風は冷たく頭を冷やし、コーヒーは体を温めた。この温度差は読書にはすこぶる良かった。携帯に妻からメールが入るまで没頭した。こんな正月も結構いいと感じた。(公園通り西)
Panasonic DMC-FZ10 ISO50 1/60sec F2.8 0.0EV 36mm AF
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