03「働く」

2020年6月21日 (日)

紫の絨毯 - 神楽女湖 -

200621pond01Canon EOS Kiss X7 1/125sec F2.8 ISO100 24mm

アジサイの案内で木陰の道を抜ける。

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2009年1月31日 (土)

Maki Annet Loverace

先日、地方紙の夕刊にカルメン・マキの近況が掲載された。57歳になった彼女はブログを開いていた。ふとOZ時代のアルバムに陶酔していたことを思い出す。ギタリストの春日博文はどうしているのか?と検索すると彼もブログを開設し、なんと韓国にいた。YouTubeを探ると当時のOZに感動と称賛がコメントされていた。シングルアレンジしかない「私は風」は物足りないが「閉ざされた街」は圧巻だった。昨日、酔った勢いで「私は風」をカラオケに見つけ場違いな10分の熱唱をぶちまけてしまった。おかげで今朝は全く声がでない。

「カルメン・マキ」で検索すると70年代に和製ロックの洗礼を受けたblogが..
milk vetch on yatyugatake「布袋尊さま効果か?」
音楽生活「私は風/カルメン・マキ&OZ」
南風のデジタル写真日記 「カルメン・マキ」
いつもふらふらタイガーブギー「カルメンマキ&OZ」

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2007年7月 6日 (金)

雨の雫をじっと見ていた

070706rain_drops 19トンの運搬船で行程30マイルを南下した。豊後水道は九州北部を横断する梅雨前線で20mm/hの雨が断続的に降り続いた。視界は1マイル程度となり陸岸も見えない。さらに吹き込む雨で合羽も脱げない。その上、機関の音で会話もままならない..屋根の縁を滑り台にして行列を作って落ちて行く雨の雫をただ見つめる。(豊後水道

Panasonic DMC-FZ10 ISO50 1/200sec F2.8 -0.7EV 142mm MF

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2007年1月 4日 (木)

正月に考えた「口コミマーケティング」

070104saba ○「きっかけ」・・地方で地産地消の産品の販売に励む生産者が安価な宣伝とリピータ確保を考えている。材料として無償ブログと地方公務員を用いる。動機づけは坊農さやかという22歳の雑誌編集長を取り扱った11/3のNHKニュースウォッチ9だった。口コミマーケティング(Viral Marketing)というらしいが、実は自分も類似の発想があった。

○「グループづくり」・・まず市町村か県の範囲でやる気のある生産者でグループを作りブログを開設する。ブログのpingサーバは最大限に利用して産品を掲載し、食べ方の情報も掲載する。見る人に「簡単、時間と手間が不要、道具も今もっているものでOK。」という印象を与える内容とする。食べ方は能書きばかりを書くのはNGで、説明なしでも理解できる写真を2~3枚貼り付ける。

○「公務員をセールスマンに」・・一方、公務員にもpingサーバは最大限に利用したブログを開設させる。そして生産者は彼らに産品を売る。若しくはブログに感想を書くことを条件に無償提供する。ブログを開設していない(できない)公務員にも産品を売る。彼らに産品を受け渡すときに生産者のブログへのコメントを依頼する。イントラネットを利用してメールにブログのURLを書き込めば完璧になる。生産者も産品情報をタイミングよくブログに掲載する。例えば「○○さんへ送ったブリは今日こんな風にして水揚げしましたよ」などと写真付きで掲載する。

○「ブームを創出」・・産品はひとつの産品を一斉に提供する。これを地域みんな(生産者+公務員)で批評する。一定のスパンでひとつずつ提供とブログへの掲載を行う。これを徐々に拡大する。地域には必ず、消費者の立場でブログを開設している人がいる。彼らにも無償の提供を行う。このときブログの「つながる機能」(コメント、トラックバック、ping)を最大限に活用する。

・・正月の初夢か。でも、経費はほとんどかからない。どうだろうか。

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2006年12月 5日 (火)

干渉色

061204pearl アコヤガイを剥くと挿入した核は綺麗な真珠質で覆われていた。その色は干渉色という言葉では説明できない独特のものであった。

Panasonic DMC-FZ10 ISO50 1/100sec F3.7 0.0EV 45mm AF

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2006年10月14日 (土)

笑顔と礼

061015tasting 秋晴れの二日間、イベントで試食品を配った。「味はいかが?」と訊けば、「おいしい」「うまい」の答えがあった。休日は潰れたが、笑顔と礼の言葉があれば、いい一日になる。特に子供の笑顔は格別である。(亀川

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2006年9月29日 (金)

俺はここで頑張ってきた

○かんぱち養殖を営むT氏は「町村合併で何もいいことはなかった」と言う。主旨は過疎化が止まらないことであった。彼は長男である。「長男が家業を注ぐことは当然の家のルールだった。しかし、若い奴は長男でも家業が苦しければ、陸に上がって街に出て仕事に就く。昔はこれを補完する出稼ぎがあった。それは家業を守るため、一時、陸の仕事で収入を得て家に持ち帰ることだった。」と言った。つまり、長男の軸足は故郷にあった。人口移出はあるが、誰も養殖を始めないから移入はないと言うことである。

○同様な話があった。離島では「子供がいる家庭は高校通学がネックとなって島を離れる」という話がある。合併が進むと、旧町村の過疎化や老齢化が見えにくくなる。T氏は漁村という集落が最低の生活機能も失うほど過疎化が進むことを恐れている。

○T氏は「俺はここで頑張ってきた。真珠をやり、鰤をやり、そして今かんぱちをやっている。ここの人は皆そうやって来た。」と言った。漁村にはほとんど企業がない。耕地も少ない。商売は海に求めるしかない。最後にT氏は「俺は生きていくだけで精一杯だ。行政に何が出来るかは行政が考えろ」・・大した返答は出来なかった。故郷の漁村で頑張る人に何ができるのか。(蒲江)

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2006年6月 5日 (月)

仮想失敗体験

○先日、ワクチンの説明を受けている時に、ふと「失敗学のすすめ」を執筆した工学院大学の畑村洋太郎教授が言う仮想失敗体験を思い出した。体内では異物をリンパ球が攻撃する。さらにマクロファージも抗原提示のシグナルを出しながら攻撃する。シグナルを受けたヘルパーT細胞がさらに攻撃する。ワクチンは死んだウイルスでヘルパーT細胞に「感染した」と勘違いさせる・・つまり仮想体験させるのだろう。

○著書では「他人の失敗経験から得た知識まで活用」としている。これを体内の仕組みに置き換え「ワクチンの接種から得た抵抗力まで活用」と置き換えることができる。仕事の成功も生命の維持も他人の失敗(ワクチン)から疑似体験することで成就する(抗体をつくる)ことが可能となる。自分の失敗だけでは成功へ道は遠い。

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2006年5月 7日 (日)

「判断を誤って失敗」が勉強

○友人と仕事について話した。「部下が勉強しない」とこぼしていた。職場での部下の質問では(同僚、上司の場合もあるが)「正解への最短の道を進む指導(畑村陽太郎)」を求めてくることがある。しかし、自分で文書を読む。マニュアルを読む。判断する。そしてたまに判断を誤り失敗する。その繰り返しが「勉強」になる。今、必要な部分を情報を必要でない情報の中から探す作業は重要である。「点の情報」を上司から訊くことと「面の情報」を自分で得ることには雲泥の差がある。

○しかし、部下は良い判断と信じている。これを事後評価してもらわないとならない。それを役人は「復命」と呼び、企業は「報告」と呼ぶのか。上司に提出する自己判断の評価申請である。黙ってハンコを押せばOKで、失敗だったり、情報不足なら上司から呼ばれる。口頭復命でもいいが、極力、メモでも良いから文書(ファイル)で残すべきと考える。この時重要なのが、簡潔で誰が読んでも分かる様にすることである。技術系が読んでも事務系が読んでも分かるような表現の訓練は日頃からトレーニングしておくべきである。

○余談だが随分前に異動で未経験の職務処理することとなり、これを徹底した。僅かに年下の係員に訊くのも抵抗があった。しかし、1ヶ月で挫折した。業務量が処理量を上回ってしまったからである。本筋は間違っていないがケースバイケースではある。

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2006年4月27日 (木)

自分の判断で動く

訓示があった。訓示を受ける側の列の先頭に立っていた。

クレームがあった。対処した。その報告を文書にしたが、上司に報告する程度でなかった。

難問がある。もう、事後承諾で動いた方が迅速な対応ができると感じた。

部下が5人いる。もう、47歳となった。自分の判断で動くことが許される立場だと今更ながらに気づいた。だが責任は重い。

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